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Sapporo Chapter Wild Bird Society of Japan

庭に来る野鳥

カッコウのイラスト請負人 小山田 尚子

数年前から、雪が積ったころ、庭木の冬囲いの竹にリンゴやナシを刺して、簡易バードテーブルを作っている。お客はもっぱらヒヨドリで、どこで見ているのか、リンゴを刺すと間もなく、あの「ピィーヨ」という甲高い声とともに、庭にやって来る。

 毎年つがいと思われる2羽が連れ立ってやってくるのだが、必ず一羽は近くの木にとまって、もう1羽が 食べ終わるのを待ち、食べ終わった方が飛び立つと、おもむろにバードテーブルへと向かう。「親しき仲にも礼儀あり」なのか、天敵に襲われないように、見張りをする習慣になっているのか、いずれにしても、協力しあって餌を食べているのは、見ていてほほえましい。

 しかし、今年、初めて2羽が同時にバードテーブルにいるところを見た。

 その日は、急に風が強くなって、一転にわかに掻き曇りといった状況だった。最初はいつものとおり、1 羽ずつ交代で食べていたのだが、風雪が激しくなってきた時、順番待ちをしていた1羽がバードテーブルに飛んで来た。この時ばかりは、交代することもなく、 1羽は竹につかまり、もう1羽はムシロにつかまって一心不乱にリンゴを食べ続け、食べ終わると、一緒に山のほうへと飛んでいった。「天気が荒れてきたか ら、早く食べて帰ろうよ。」といったところか。

 こんなふうに、冬になると、ヒヨドリ観察ばかりしているような気がする。いや、もしかすると、私がヒヨドリに観察されているのかもしれない。
リンゴも残り少なくなってきたので、そろそろバードテーブルをやめようと決意したある朝、玄関を出る と、頭上から「ピィーヨ(また来ましたぜ)」という声。おまけに、リンゴのないバードテーブルに飛んで行き、「ピィーヨ、ピィーヨ(リンゴがないけど、どおしたのかな)」とキョロキョロしながら鳴き続ける役者ぶり。私の決意はあっけなく崩れ去ったのである。ヒヨドリに、「ここの住人は、押しに弱い」と見抜 かれた気がする。

 雪解けも進み、4月になると、ヒヨドリはぱったりと庭先に来なくなった。野山で餌場を見つけたのだろう。これで、しばらくはヒヨドリに振り回されずにすむようになった。

 春になって、山が鳥の声で賑やかになってきた。我が家は、山と川に挟まれた場所にあるので、1年を通 じて結構色々な野鳥が立ち寄ってくれる。シジュウカラ・ヤマガラは常連さん、ムクドリ・ツグミ・ハクセキレイ・コゲラ・メジロ・キジバト、大きなもので は、ハイタカが松にとまっていたこともあった。先日初めてマヒワを見ることができた。スズメの集会もそろそろ始まりそうである。これから夏に向けて、今年 はどんな野鳥が来てくれるのか、とても楽しみだ。

 ところで、庭先に来なくなったとはいえ、ヒヨドリの姿はよく見かける。冬場よりは控えめな声で鳴きながら、上空を軽快に飛んで行く。半年後、ひょっこり庭に現れるのを期待しつつ、それまで元気でねと空を見上げる今日この頃である。

支部報「カッコウ」2014年 6月号より

岡山県のブッポウソウ保護活動

岡山県支部 幹事 渡辺 裕幸

ブッポウソウを見たことがありますか。
5月初旬に東南アジア方面から飛来し、北海道を除く、全国の寺社林周辺で繁殖していた絶滅危惧ⅠB類(環境省レッドリスト)、森の宝石とも呼ばれる美しい夏鳥です。鳴き声はゲゲゲー、仏法僧と鳴くのはコノハズクです。昭和10年頃から天然記念物として(1)宮崎県狭野神社(2)岐阜県州原神社(3)長野県三岳(4)山梨県身延山の4カ所がブッポウソウの繁殖地として指定されましたが、現在、いずれの場所も繁殖は見られません。東京都八王子市の高尾山での繁殖確認も83年が最後でした。

岡山県支部では、88年から県下全域で4年間ブッポウソウ生息状況調査を行い、営巣の可能性の高い巣穴68カ所のうち46カ所が木製電柱であること、個体数96羽を確認しました。県北西部の蒜山地区で、コムクドリ用に掛けていた巣箱にブッポウソウが繁殖している事例も報告されました。一方、営巣に利用されていた木製電柱は、コンクリート製や鋼管製の電柱への取替が進められていた時期だったので、ブッポウソウ用の巣箱を製作し設置してみようと考えました。そこで繁殖密度が高かった吉備中央町加茂川地区に巣箱を設置する試みが始まったのです。90年の9個から始まり、91年には巣箱10個中4個で営巣、92年からNTT電柱に設置許可を取り設置数を順次増やしました。昨年13年は吉備中央町で195個(うち岡大管理33個)、近隣市町村で122個と全県で317個の巣箱が設置され、巣箱利用率は約70%になっています。
巣箱調査や標識調査、ビデオカメラから、少しずつ生態も分かってきました。餌としてカナブンなど甲虫類、セミやヤンマなどの飛翔性昆虫類などを捕食し、貝類や缶蓋などを胃内で碾き臼として使う習性を持ち、ほぼ前年と同じ巣箱に帰って来る。水田が広がる昆虫類が多い里山の環境を好み、人家や道路の影響は少ない。

中国地方では、広島県下各地でほぼ同規模の巣箱掛けによる保護活動が行われおり、鳥取県も14年前からの保護活動が成功しています。長野県や京都府では告示で「ブッポウソウ保護回復事業計画」を昨年から開始しましたが、同じ里山環境に巣箱掛けを続けても、継続的に利用されない県も多くあるようです。
吉備中央町では、95年ブッポウソウを旧加茂川町の「町の鳥」に指定し、小学校での巣箱作りや観察会を支部が指導をしました。町村合併後の06年高円宮妃久子殿下を来賓にお迎えして「ブッポウソウ保護フォーラム2006 in吉備中央町」を開催してからは、町民の中にも「私たちの町にやってくるブッポウソウ」の意識が非常に高まり、12年町役場として説明パンフレットを作成し全戸配布、13年ピンバッチ販売や「希少野生動植物を保護する条例」でブッポウソウとニホンメダカを指定するなど、行政が音頭をとった支援も得られるようになりました。

06年に一部観察ルートを公表し、3カ所の「ブッポウソウ案内所」で巣箱内のライブ映像を公開した頃から、ブッポウソウ観察や撮影目的だけの訪問者が急増して、心ないマナー違反者が増えて来たことも現実です。支部では、HPやtwitter、facebookを使って広くブッポウソウの情報を伝えることでファン層を拡大させ、理解者の増加によって抑止力効果が出ることを期待しているところです。

1.春の巣箱新規設置作業、2.地元や一般観察会の案内、3.秋の全巣箱掃除と繁殖調査などの保護活動自体は24年間変わってはいませんが、参加会員の高齢化による後継者不足が喫緊の課題となっています。また、本来は大自然の中で生息していたブッポウソウに対して、何時どのような形で私たちの手を外して自然に返せば良いのか、その糸口がナカナカ見つかっていないのも実情です。

北海道の皆さん、岡山県で森の宝石「ブッポウソウ」を観察してみませんか。

ご参考:岡山県支部HP(http://plus.harenet.ne.jp/~wbsjokym/

巣箱へ給餌にきた親鳥(両足輪付き)/ 撮影:秋山 登(岡山県支部会員)

巣箱へ給餌にきた親鳥(両足輪付き)/ 撮影:秋山 登(岡山県支部会員)

支部報「カッコウ」2014年5月号より

自然保護のバトン

玉田克巳

 昨年九月、根室の高田勝さんがご逝去されました。長年道東に住んでいた私にとっては、いろいろなことを教えていただいた、心の師の一人であります。訃報を伝える記事には「風蓮湖の近くで民宿(風露荘)を営みながら、自然についての多くのエッセー集を著した文筆家でナチュラリスト」と紹介されていますが、風露荘を訪れた多くの方々と語らい、いろいろなことを教えてくれた人生の大先輩です。十月のお別れの会には参列させていただきましたが、九月の葬儀は近親者のみで執り行われたとのこと。元来の無宗教論者であったため、お経も、戒名もない葬儀であったようです。

 勝さんとの思い出はたくさんありますが・・・。私がバンディングにかかわり始めて間もないある年の秋、Y研究所のS研究員が、ロケットネットでミツユビカモメを捕獲するとのこと。勝さんと私のほかに、数名のバンダーがお手伝いで参加しました。

 ロケットネットとは、黒色火薬を使って、長さ三十センチ程の円筒形の鉄の弾三発を飛ばし、結わえ付けた網を展開するものです。網の幅は十八メートル、長さが十二メートルで、この範囲が射程となります。火薬への着火は遠隔操作ができ、数百メートル離れたところから行われます。網を設置する際に、木切れを使って射程範囲に目印をつけておき、離れたところから鳥が射程に入るのを待ちます。

 夜明け前に網を設置して待つこと数時間。勝さん「鳥が集まってきたね」、S研究員「集まっている群れは全体で数百羽だけど、射程に入っているのは十羽ぐらいかなあ。ちょっと少ないけれど、たくさん獲ってしまうと後の作業にも時間がかかるから、このぐらいで捕獲します」といって雷管のスイッチを入れました。網はきれいに展開し、たくさんのカモメが捕まりました。獲れたカモメを全部網からはずし、リングとウィングタグを装着して放鳥するまで小一時間。作業を終えて、捕獲数を確認すると百八羽でした。ここで勝さんが一言、「ちぇっ。Sの奴、何が十羽だ、煩悩の数だけ獲りやがって・・・。」と言い捨てて、足元に落ちていた長さ一メートル、幅十センチ程の木切れを拾い上げ、野位牌に見立ててマジックでおもむろに文字を書き入れました。「鴎覚院百八倍居士」。そして一言「戒名だ」。

 その夜私は風露荘に泊り込み、勝さんと祝杯をあげました。お酒がまわったころ、勝さんの箒をギターに見立てたカントリーウェスタンの独奏が始まりました。いつもの恒例です。そして程なくして「玉田クン、表に出るぞ」と誘いだされ、「さあ、叫べ!」と促されました。「突然叫べと言われても・・・」とモジモジしていると再び「何でもいいから叫べ」と催促されました。酔っ払った二人で、何を叫んだかは忘れてしまいましたが、隣近所のいない、ニムオロ原野に向かって二人、大声で叫んだことだけは憶えています。

 北海道、ことさらニムオロの自然をこよなく愛し、いつも旗手として自然保護の先頭に立っていた勝さん。野鳥の聖域を作るために根室に移り住み、孤軍奮闘してきた勝さん。この自然保護のバトンは、私たちが引き継いでいかなくてはいけないのだと感じています。この精神にただただ合掌の一念です。

支部報「カッコウ」2014年 4月号より

ラナルドマグドナルド考

焼尻島 磯野 直

先日、標識調査員の有田さんから原稿の依頼があった、自分で書けばと言ったら、一度書いたのであんたに頼むと言い出す。簡単に言ってくれますが、私は旅館の主人で、野鳥には詳しくないのは承知のはずなのに、と思いながらも、どうせ暇なんでしょと言われそうなので、少し島の事を書くことにした。

焼尻島の南海岸にトーテムポールが建っている、これはラナルドマグドナルドというアメリカ人の上陸記念碑である。一八四八年六月二七日捕鯨船に乗って日本海に入った彼は、島の南海岸に上陸する。島を探索したが無人島と判断して(島の東側にはアイヌ人や日本人がすでに住んでいた。島にある厳島神社の鳥居に天保十五年と刻印がある)二日間滞在したのち、本来の目的地だった利尻島を目指す。そこで彼はボートをひっくり返して遭難者を装い助けてもらう。その後彼は松前藩を経由して長崎に送られそこで投獄生活を送るが、その間、役人に英語を教える。その役人がのちにペリーが来航した際に幕府の通訳を務めたとされている。焼尻の島民であればだれもが知っている事ですが、調べていくと、色々と疑問がわいてくる。その一つは彼がどこで日本の事を知り得たのか。アメリカに帰った後に彼が書きとめたものを調べていくとなかなか面白い。彼はイギリス人の父アーチボルトマグドナルドとインディアン、チヌーク族の族長コムコムリの末娘コーアルクソア(わたりがらすという意味)との間に生まれた。彼の父は当時ハドソン湾岸会社の重役であった。彼は成人したのち銀行に勤務していたが、世界放浪の旅にあこがれていた。そこで知ったのが日本人音吉の存在であったと思われる。音吉は一八三二年鳥羽から江戸に向かう途中、遭難し一四カ月間漂流したのちシアトルの北部フラッタリー岬に流れ着く、そこでインディアンに捕えられ、イギリス船に奴隷として売られた。その船の所有者がハドソン湾岸会社だった。イギリスの本社では音吉をなんとか日本に帰そうとするが幕府は許さなかった、その間色々と日本の事を話した事が父を通じてマグドナルドの耳にも入り彼の冒険心をあおったと思われる。一説には音吉が彼の家に居候をしていたともあるが定かではない。そこでマグドナルドは日本に渡る計画を立てハワイに渡り捕鯨船の船員となり希望通り日本を目指すことになった。そして焼尻島に上陸した。

英語の通訳に関しても調べていくと面白い事がわかる。当時幕府にはジョン万次郎がいたはずである。彼もまた土佐沖で漁の最中に遭難し鳥島で百四十三日間過ごしたのちアメリカの捕鯨船に助けられアメリカに渡った。彼は日本に戻るため琉球から上陸を図るが捕えられ薩摩藩で取り調べを受けるが英語が堪能な事から島津斉彬の目にとまり幕府の役人として召し抱えられた。その万次郎がいたにもかかわらずなぜペリーが来航した際に通訳をしなかったのか。諸説あるがひとつは、たかが漁師の分際のものに幕府の通訳をさせるのは沽券にかかわるという役人の思いがあった。もう一つには、彼の英語は漁師言葉でスラングが多く、しかも音を聞いて覚えたのでなかなか聞き取れないことから外国との条約締結には適さないとの判断があった。どちらもありそうな話である。興味のある方は、ぜひ一度焼尻島を訪れて、海を眺めながらマグドナルドと同じ思いに浸っていただければと思います。

さて、この記念碑ですが、春先に役場担当課から、傷みが激しいのでちょっと様子を見てきてほしいと依頼があり。早速見に行こうとしたら、女房がこの時期は何か珍しいものが来ているかもしれないので一緒に行くと言い出した。私もカメラを抱えて行ってみると、いたいた、ヤツガシラです。感激。これだから島暮らしはやめられない。

支部報「カッコウ」2014年3月号より

遭遇!ハシボソミズナギドリの大群!

日本野鳥の会札幌支部 臼田正
渡り行くハシボソミズナギドリ

渡り行くハシボソミズナギドリ

 それは、平成25年5月3日、洋上での探鳥を目的に、苫小牧―八戸航路に乗船した時のことでした。フェリーが苫小牧を出航して間もなく、航海の無事を祈り、海鳥や海洋生物たちとの出会いを期待してビールで乾杯する恒例の儀式を同行のK師と行った直後、船の行く手に何万羽というハシボソミズナギドリの大群が出現したのです。およそ10年ぶりに、このような大群に遭遇し、「ウオーッ!」と興奮した我々は、躊躇せずただちに、この日二度目の儀式をおごそかに挙行したのでありました。

 今回は、この大群との出会いを詠んだ長歌一首と反歌(短歌)二首を紹介させていただきます。航行するフェリーに迫り来る、ハシボソミズナギドリ大群の圧倒的な迫力を感じていただければ幸いです。

はるかなる 水平線よ はるかなる 南十字星(サザンクロス)よ
嘴細き 水薙鳥は 大海を 渡り来たれり
たくましき 大胸筋は 幾千里 疲れを知らず
風を切り 波濤を越えて 大海を 渡り来たれり
ふるさとは タスマニアなる 南(みんなみ)の 水清き島
目指せるは アリューシャンなる 豊穣の海、北の涯
春浅き 苫小牧沖 風やさし 波なほやさし
残雪の 樽前山は たをやかに 横たはりたり
甲板に 我がたたずみて なつかしき なれを探せば
のぞきゐる 望遠鏡(スワロフスキ)に かなたなる 小さき影見ゆ
小さき影は はじめおぼろに その姿 かすかなりしも
見るほどに あまたとなりて たちまちに 迫り来たれり
乱れ飛ぶ その鳥影は くろぐろと 目にもさやかに
舞ひあがり 水面を滑り ひたぶるに 打ち羽ばたけり
振りおろす 細き羽先は しなやかに 波頭をかすめ
ひるがえす 長き翼は 陽をあびて しろがねに映ゆ
やがて鳥は 沸き立つほどに あふれ出で 海原をおほひ
幾万の 疾風となりて 北を目指し 渡り行きたり
その姿 いよよ麗し その生命 いよよいとほし
大海を 翔けるハシボソミズナギドリは

  ひとすぢに 弧を描きたり 波間翔ける
  水薙鳥の 初列風切

  息をのみて ただ眺めたり ほとばしる
  生のきらめき 熱きドラマを

支部報「カッコウ」2014年 1,2月号より

ミヤマガラスに思うこと

日本鳥類標識協会会員 富川徹

ミヤマガラスといえば、鹿児島県の出水干拓に冬季多数飛来するナベヅルやマナヅルとともに農地で観察される珍鳥と思っていた。91年1月(平3)、私は初めて当地を訪れ、出水でツル保護監視員をされていた故又野末春さんの民宿に泊まることができ、農業被害と野鳥の関わりなどの話を聞くと同時に、軽トラックで数千羽のツルの餌まき体験をした。これらは業務に携わった宮島沼鳥獣保護区設定やラムサール登録湿地保全において大変有意義なものになったことを懐かしく思い出される。ミヤマガラスは、この餌まき作業中でも農地脇の電線に数百の群れで列をなしとまったり、飛行しては田んぼに降りたりを繰り返していて、この北海道の光景にはない少し小さ目で人を寄せ付けないそのカラスに夢中で双眼鏡を向けていた。

私は94年4月、礼文島で初めての鳥類標識調査を行った。この時にミヤマガラスを北海道で初確認した。その数日前に隣の利尻島で確認されていることを知ってはいたが、まさか礼文島でも直ぐに遭遇できるとは驚きの何ものでもなかった。確認は島の北部にある久種湖で、8羽の小群が最北という牧場で牛と戯れるように採餌行動をとっており、思わず出水で見た数百羽という群れが北海道でも見られるのだろうかと考えてしまった。

その後、本種が国内はもとより道内各地で観察が相次ぎ、私の記録でも04年から05年にかけての大沼、鵡川、根室、そして礼文島をはじめとして、昨今まで多数確認している。20数年前まで珍しかったミヤマガラスは、今北海道では冬季とその前後に比較的普通に、しかも数羽ではなく大群での観察も珍しくはなく、近年は我が家近くにある酪農学園大学(江別市)の農地までに出現するようになった。私のミヤマガラスという鳥のイメージは大きく変わってしまったのだ。

ミヤマガラス分布調査についてはバードリサーチ(東京)で、渡りのルートなどを探るなどのプロジェクト調査が進められていてよくまとめられている。これによると北海道の最初の記録は88年で、各地で観察されるようになったのは、利尻島や礼文島の記録の94年頃からとなっている。今後、「なぜ本種が来るようになったのか」も含めて、その推移や解明に期待している。

一方、本件同様に道内ではダイサギやコサギなどの白サギについても、以前よりずいぶんと目に付くと思いつつ、これら種についてもまだ分かっていないことが多いので注目種といえよう。また、いい悪いは別にして、越冬組とは言えないくらいまでに分布拡大をみせるカワウやカササギの勢力についても気になっている。

ミヤマガラス 鵡川

鵡川2005.2 


ミヤマガラス 礼文

礼文 2007.5

[参考資料]

  • バードリサーチ.
    http://www.bird-research.jp/1_katsudo/index_miyamagarasu.html
  • 小杉和樹.1994.利尻島におけるミヤマガラス Corbus frugilegus の記録.利尻研究、(14): 5-6
  • 富川徹・小畑淳毅・福岡将之.1994.礼文島における春季(1994)の鳥類相.利尻研究、(14): 11-16
支部報「カッコウ」2013年12月号より

マガンという原風景

宮島沼水鳥・湿地センター インタープリター 岡野香子

近年では「マガンといえば宮島沼」が代名詞となっており、季節になると全国からたくさんの人が訪れるが、マガンが宮島沼で休憩を取り始めたのは1977年である。1971年に天然記念物に指定されたのを契機に徐々に数を増やし、宮島沼への飛来数が万羽を越えたのが1984年。現在のように6万羽を超えるようになったのが2000年。ほんの最近のことなのだ。

宮島沼で活動する子供たち、自然戦隊マガレンジャーにとって「マガン」は季節になると当たり前に飛来する”普通種”だ。子供同士の湿地交流会で、彼らが、宮島沼の自慢は観光客がたくさんやってくることです、と発表した時は本当に驚いたものだ。

そんな彼らの最近の関心事は「宮島沼のマガンをたくさんの人に見せたい」「宮島沼の水質をなんとかしたい」の2点だ。彼らの心にそんな自覚が生まれ始めたのは、他の湿地で体験活動をしたり、子供同士で交流したりした経験のおかげだ。いつも見ている”マガンの大群”の写真を見せると必ずあがる、小さくない歓声。「こんなに小さくて汚い沼なのに。僕達の宮島沼は人を感動させる特別な場所なんだ」自分たちの普通が、普通でないと気づいた瞬間。他を知ることで見えてきた自分達のフィールドの魅力である。水質もしかり。夏になると、臭くて緑色(アオコの大発生)の宮島沼。クッチャロ湖の水は澄んでいて、魚も水生昆虫もたくさん採れた!いやいや、宮島沼でも魚や水生昆虫はいるし、その活動も行っているのだが、臭い汚いの体感は強烈らしい。僕達にできる活動は何?来訪者に水質の悪さを知ってもらうための調査をしよう、ふゆみずたんぼin宮島沼のことを宣伝しよう、水質浄化植物ヨシを使った活動(ヨシ紙作りなど)をしよう。大人たちも試行錯誤している現状、これが子供たちに答えられた精一杯だった。よし、それならと、ヨシから絵葉書を手作りし、マガレンジャーグッヅとして販売しようと盛り上がっている。

自然戦隊マガレンジャー

我々スタッフとマガレンジャーは、相棒だ。マガレンジャーにとって、マガンは原風景となりつつある。彼らが大人になった時、我々が思いもしなかった秘策を生み出し、マガン保全への新たな道を築いてくれる。マガレンジャー達の笑顔を見ていると、そんな野望を抱かずにはいられない。

宮島沼HP:http://www.city.bibai.hokkaido.jp/miyajimanuma/
宮島沼の会「宮島沼日記」:http://blog.goo.ne.jp/miyajimanuma/
宮島沼プロジェクトチーム:http://miyajimanumaproject.blog.fc2.com/
マガレンジャー・活動日記:http://magaranger.blog55.fc2.com/

支部報「カッコウ」2013年11月号より

姫路の森から

(公財)日本野鳥の会レンジャー 斉藤 充

いまから30年近く前になりますが、私は、そのころ札幌支部の事務局があった野生生物情報センターでアルバイトをさせてもらっていました。このたびは当時お世話になった住友さんのお招きに与り、参上しました。

現在、私は姫路市自然観察の森に勤務しています。姫路市は兵庫県南西部に位置する人口53万の中核市。自然観察の森とは、このような都市の近郊に残る身近な自然をフィールドに自然保護教育を推進するため、環境庁(当時)のモデル事業で全国10市町につくられた施設で、このうち横浜市、豊田市、姫路市の施設運営に当会が携わっています。

さて、姫路といえば、国宝でもあり世界遺産にも登録されている姫路城ですね。残念ながら現在は平成の大修理中。再来年まで見ることはできませんが、確かに一見の価値はあると、城や歴史にそれほど興味のない私でも思います。ここではこの天下の名城にひっかけて自然観察の森で見られる特色ある生き物を二つ紹介したいと思います。

姫路城は別名白鷺城とも呼ばれます。そう呼ばれる理由は、白漆喰で塗られたその城壁の美しさから、昔シラサギが多く棲んでいたから、など諸説ありますが、姫路市ではこの名にちなんで市鳥をシラサギに、市花をサギソウに選定しています。サギソウは湿原に生育するランの仲間です。北海道には自生していないので馴染みがないかもしれませんが、夏にこの名がぴったりの純白の花を咲かせます。生育地の消失や乱採取により近年数が減少し、兵庫県の絶滅危惧種の一つになっています。自然観察の森には小規模ながらサギソウが自生する湿地があり、8月下旬には数百株の花を観賞することができます。

市鳥、市花、市木は多くの市や町で選定さてれていますね。姫路市にはさらに市蝶というのがあり、ジャコウアゲハがこれに選ばれています。その選定理由は、江戸時代に姫路城の城主だった池田氏の家紋がアゲハチョウで、お城の多くの瓦紋にこの家紋が使われていることと、さらに、当地には播州皿屋敷伝説なるものがあり、ジャコウアゲハのさなぎは城内の井戸に身を投げた女中お菊の化身だとされ、昔、お菊虫として人々に知られていた経緯があるからです。こんな伝説を生んださなぎの異形さのほか、幼虫はウマノスズクサという有毒植物を食草として身を守ることや、その名のとおり成虫は翅に香りをもつことなど話題性に富んだジャコウアゲハを自然観察の森では開設当初から飼育展示しています。

来年のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」は姫路が舞台。姫路観光に来られた際はぜひこちらにもお立ち寄りください。

サギソウ_ジャコウアゲハ

サギソウとジャコウアゲハ(円内はさなぎ)

支部報「カッコウ」2013年10月号より

オシドリの巣立ち

NPO法人真駒内芸術の森緑の回廊基金 新田啓子

巣立ち前に親鳥は巣穴から顔を出し、周囲の様子を伺い、出たり入ったり繰り返す。安全を確認すると地面に下り、ひと鳴きして雛を呼ぶ。雛は次々と巣穴に出てきて、勢いよくジャンプする。飛び下りるのを躊躇してぐずぐずしていた雛や母鳥から離れた場所に着地した雛は、ハシブトガラスに浚われることがあった。真駒内曙中学校の校庭の真ん中にあるハルニレの地上7mの樹洞からの着地時、雛はバウンドしてから草地に着地し、約3秒後に起き上り、鳴いている親鳥の元へ走った。その後、親鳥は安全な水辺まで雛を誘導した。雛は親鳥の後を一塊り、時には一列になって着いて行った。

2010曙中巣立 撮影谷上氏

2010年曙中での巣立ち時の着地の瞬間(撮影 谷上氏)

2011年の曙中での巣立ち後、川で親子を探している時に、抱卵中の別の雌を見つけた。10日間調査し、ついに営巣木を発見したが、そこはなんと国道のビル前の街路樹(ポプラ)であった。雌は、地上8mの高さの見た目わかりにくい洞から秘かに出入りしていた。営巣木の下は、コンクリートの歩道と車道だったので、巣立ち時に雛は大丈夫なのか、心配した。しかし街路樹での巣立ちの着地時、あまりバウンドしないでコンクリートの上にベタっと落ち、約6秒後にようやく起き上ってよたよたと安全な場所へ走り、無事だった。この時カラスがいたら、簡単に捕食されていたが、幸い来なかった。

市内の都市緑地での巣立ちも数例観察した。観察は、巣立ちに影響のない距離で行った。待つこと数時間、ようやく親鳥が巣穴に現れた。ハシブトガラスの多いエリアや人の多い場所での巣立ちは、ヒヤヒヤした。しかし、運がいいのか、期を待って決断しているのか、意外とうまく巣立っている。カラスよりヒトの方がやっかいかもしれない。ヒトが巣立ちに気が付き、走り近づいたため親鳥が飛んでしまい、雛がバラバラになり失敗した事例がある。

オシドリは本来森林性のカモ類で、山間部で繁殖していたが、近年市街地で繁殖する事例が増えている。それは山間部に樹洞のある巨木が少なくなり、水辺のある都市緑地の巨木に営巣するようになったのではないかと思われる。都市緑地は、彼らの最後の砦なのかもしれない。

今年、円山公園の池に6月9日と11日にそれぞれ13羽と8羽の雛の親子が出現した。13羽の方は巣立ち29日目時点で、まだ1羽の雛も減っていない大ファミリーである。親鳥が周囲の様子に気を配りながら常に声を出し、園内を採餌している親子の和やかな姿が見られる。

支部報「カッコウ」2013年8,9月号より

天売島の海鳥とネコ

北海道海鳥センター 石郷岡卓哉

 

 海鳥の楽園として知られる天売島は、道北の日本海に浮かぶ小さな島です。周囲12kmほどのこの島には、8種類100万羽の海鳥と、360人の島民、そして200〜300匹のネコが暮らしています。

 今回の話の主役は、この島ネコたちです。羽幌港からフェリーで天売島に行くと港周辺や集落にたくさんのネコたちがいます。多くが飼い主のいないノラネコで、中には集落から海鳥繁殖地に遠征をして、海鳥を襲うノラネコがいます。また、海鳥繁殖地周辺だけで暮らし、海鳥専門のハンターのようなノネコ(人家から離れた所に暮らす、人に依存していないネコのこと)もいます。このネコたちの影響を最も受けている海鳥が、ウミネコです。ノラネコ・ノネコにウミネコと、「ネコ」だらけで少し分かりにくいですが、20年ほど前には3万羽生息していたウミネコが10分の1に減った理由の1つに、1990年頃から繁殖地でよく見かけるようになったネコの影響が考えられています。ネコがウミネコのヒナを直接襲うことはもちろんですが、繁殖地にネコが入ることで親鳥が飛び立ち、その隙にハシブトガラスが卵やヒナを持ち去ることもあります。こうしてウミネコの繁殖がかく乱され、数を減らしてきたと考えられているのです。

 ここまで書くと、まるでネコが悪者のようですが、もともとは人によって持ち込まれ、飼われていたペットです。ノラネコ・ノネコにとっても、海鳥の繁殖期が終わればエサが減り、冬が厳しく病気や交通事故に遭うリスクの高い屋外での暮らしは、決して安心して生活できる環境ではありません。

 そこで、海鳥とネコの両方の幸せを守る、天売島ネコ対策事業がスタートしました。島内の飼いネコを登録制にして飼い主のいないノラネコ・ノネコを島外に出し、獣医師のもとで人が飼えるように馴らして、全道から新たな飼い主を募集する計画です。

 この取り組みに北海道獣医師会が協力してくれることになり、昨年は天売島で飼いネコの登録作業を行いました。最新の医療機器をトラック1台分運び込んで開設した臨時の動物診療所で、飼い主が連れてきたネコにマイクロチップを挿入しました。これでノラネコ・ノネコと区別できます。

 また、任意の避妊・去勢手術も、獣医師の丁寧な説明により、全ての飼いネコが受けてくれました。これで飼いネコから、新たにノラネコ・ノネコが生まれてくることを防げるはずです。

ウミネコ繁殖地の近くをうろつくネコ

ウミネコ繁殖地の近くをうろつくネコ

 今秋からはいよいよ、ノラネコ・ノネコを馴化(人が飼えるようにすること)して新たな飼い主へリレーする事業が始まります。その際は、読者のみなさんにもぜひ新たな飼い主になっていただければと思います。天売島が、人と海鳥とネコの共生する島となることを信じています。

支部報「カッコウ」2013年7月号より