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Sapporo Chapter Wild Bird Society of Japan

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自然保護のバトン

玉田克巳

 昨年九月、根室の高田勝さんがご逝去されました。長年道東に住んでいた私にとっては、いろいろなことを教えていただいた、心の師の一人であります。訃報を伝える記事には「風蓮湖の近くで民宿(風露荘)を営みながら、自然についての多くのエッセー集を著した文筆家でナチュラリスト」と紹介されていますが、風露荘を訪れた多くの方々と語らい、いろいろなことを教えてくれた人生の大先輩です。十月のお別れの会には参列させていただきましたが、九月の葬儀は近親者のみで執り行われたとのこと。元来の無宗教論者であったため、お経も、戒名もない葬儀であったようです。

 勝さんとの思い出はたくさんありますが・・・。私がバンディングにかかわり始めて間もないある年の秋、Y研究所のS研究員が、ロケットネットでミツユビカモメを捕獲するとのこと。勝さんと私のほかに、数名のバンダーがお手伝いで参加しました。

 ロケットネットとは、黒色火薬を使って、長さ三十センチ程の円筒形の鉄の弾三発を飛ばし、結わえ付けた網を展開するものです。網の幅は十八メートル、長さが十二メートルで、この範囲が射程となります。火薬への着火は遠隔操作ができ、数百メートル離れたところから行われます。網を設置する際に、木切れを使って射程範囲に目印をつけておき、離れたところから鳥が射程に入るのを待ちます。

 夜明け前に網を設置して待つこと数時間。勝さん「鳥が集まってきたね」、S研究員「集まっている群れは全体で数百羽だけど、射程に入っているのは十羽ぐらいかなあ。ちょっと少ないけれど、たくさん獲ってしまうと後の作業にも時間がかかるから、このぐらいで捕獲します」といって雷管のスイッチを入れました。網はきれいに展開し、たくさんのカモメが捕まりました。獲れたカモメを全部網からはずし、リングとウィングタグを装着して放鳥するまで小一時間。作業を終えて、捕獲数を確認すると百八羽でした。ここで勝さんが一言、「ちぇっ。Sの奴、何が十羽だ、煩悩の数だけ獲りやがって・・・。」と言い捨てて、足元に落ちていた長さ一メートル、幅十センチ程の木切れを拾い上げ、野位牌に見立ててマジックでおもむろに文字を書き入れました。「鴎覚院百八倍居士」。そして一言「戒名だ」。

 その夜私は風露荘に泊り込み、勝さんと祝杯をあげました。お酒がまわったころ、勝さんの箒をギターに見立てたカントリーウェスタンの独奏が始まりました。いつもの恒例です。そして程なくして「玉田クン、表に出るぞ」と誘いだされ、「さあ、叫べ!」と促されました。「突然叫べと言われても・・・」とモジモジしていると再び「何でもいいから叫べ」と催促されました。酔っ払った二人で、何を叫んだかは忘れてしまいましたが、隣近所のいない、ニムオロ原野に向かって二人、大声で叫んだことだけは憶えています。

 北海道、ことさらニムオロの自然をこよなく愛し、いつも旗手として自然保護の先頭に立っていた勝さん。野鳥の聖域を作るために根室に移り住み、孤軍奮闘してきた勝さん。この自然保護のバトンは、私たちが引き継いでいかなくてはいけないのだと感じています。この精神にただただ合掌の一念です。

支部報「カッコウ」2014年 4月号より