礼文島の自然に学ぶ
道場 優(どうじょう まさる)
豊かな海の幸と自然に恵まれた北の果ての島、礼文島。そこが私のふるさと。
春から秋までの季節、蒼く澄んだ海のそばに色とりどりの高山植物が咲き乱れる島。たくさんの野鳥が子育てに渡って来て、多くの鳥が渡りの途中に一休みしてゆく。名峰利尻山が海を隔てて望まれる絶好の展望の島でもある。
退職をしてこの数年、礼文島で春から夏の間フラワートレッキングガイドの仕事をしている。ガイドをしてみて、改めてふるさとの自然のすばらしさと、そこに生きる貴重な生物たちに感動をすること大である。
礼文島は、四季折々に咲き乱れる高山植物の島として全国的に有名だが、本来、高山植物は本州では2500メートル以上の高山地帯にしか咲かない植物である。それが礼文島では海抜ゼロメートルから分布する。
なぜ海抜ゼロメートルから咲くかというと、礼文島は約260万年前から何度も訪れた氷河期に海面が低下して大陸と陸続きとなったり、島となったりを繰り返してきた。最後の氷河期が終わる約1万年前から、南下してきた寒地植物たちは島となった礼文島に隔離されたという。
夏の島を覆う霧が低温と海霧の水分で高山植物を育み、冬の強烈な季節風が雪のない厳しい生育の場所をつくる。この厳しい気象条件がなければ高山植物は生きられないという。これは今も高山で生き抜く高山植物と同じ条件だったのである。
礼文で過ごしてみて知ったことは、その遥か昔の自然の厳しい気象条件が今も営々とあるということだった。そして、そこに生きる人間の営みもまた今もある。
礼文島は縄文時代の遺跡が残る島。擦文文化・オホーツク文化の遺跡、そしてアイヌ文化の遺跡が発掘される島でもある。その遺跡の海岸や丘陵地帯の上に今も高山植物が咲き乱れ、そのそばでコマドリやノゴマやベニマシコがしきりに鳴いている。その光景は遥か昔から変わらない。昔の人々もこの花を見、この鳥の声を聞いていたのかと想像すると、何とも言えない不思議な思いに駆られる。
礼文を訪れる人たちは、そこに咲く高山植物の花々や野鳥を見て、その美しさや鳥の声に感動し、島内を歩き楽しんでいる。しかし、この花々の過酷な生息の条件や、今ここに在る花々の遙かなる歴史、そして、その生態までは知らずにいる。また、遥かに遠い時代の人々の営みを知る由もない。
ふるさとで生活をしてみて、礼文島の自然から学んだことは、礼文島を訪れる人たちに高山植物を紹介する活動の大切さとともに、自然の中で生きる多くの生き物(人間を含めて)の生態と歴史を、これからも心して伝えていかなければならないということだった。