*

Sapporo Chapter Wild Bird Society of Japan

Home

スズガモに魅せられて

日本野鳥の会東京 幹事 保護部担当  飯田 陳也

臨海・海浜公園

葛西臨海公園は、毎年三~六万羽のスズガモやカンムリカイツブリが千五百~三千羽が訪れる公園である。私はそこに沢山いる鳥がその環境を表現する鳥として大切だと思う。

オープンは平成元年(1989)だが、鳥類園は野鳥のための環境整備をして五年後に開園。日本野鳥の会東京はこれを機に探鳥会を定例化して毎月第四日曜日に実施してきた。

特筆したいのは、この公園の海側に広がる海浜公園だ。海に向かって弓型にまがって広がる土手は臨海公園の付属のように見られている方が多いが、沖の三枚洲を埋めずに残すため考えられた「海上公園」が初めて実現したところである。荒川と江戸川の大きな二つの河が運んだ泥や砂が葛西沖に大きな干潟を形成していた。

戦後の復興期、干潟を埋め工場を誘致して国を挙げて生産をあげる産業育成策は空気が汚れ、川や海水が汚染しスモッグの発生や背骨の曲がった魚が出現し、危機感を持った漁師や釣り人、野鳥の会などが、生活を奪うな、ハゼの釣れる海を埋めるな、野鳥の住処を埋めるなと声をあげた。九割ほど埋め立てが進んだ東京湾の埋め立てにブレーキがかかった。

そして当時の革新都政はこれらの声を尊重し「生き物豊かな公園」を目指して都と江戸川区による葛西沖再開発事業が進んだ。(「今よみがえる葛西沖」東京都建設局発行より)。

スズガモ

二〇二〇年のオリンピックが東京に決まった時、野鳥の会はこれらの経過を踏まえ、臨海公園の1/3の緑地を壊しての会場づくりは見過せない、都自身が造った生き物の聖地を自ら壊すのは自己矛盾であり、オリンピックの理念にも反すると主張し、十一回の交渉を経て要望通り会場が公園の外に移った。自然保護団体の要望がその通りに実現したまれな例である、このことがその後のオリンピック会場見直しの幾つかに流れを変えるきっかけとなった。

今この環境をラムサール条約に登録しようと一年ほど前に準備会を立ち上げ、基金の助成を受けて年末十二月十八日には法政大学で二百名を集めてのシンポジウムを成功させ
た。十八年のcop13での登録を目指している。

支部報「カッコウ」2017年 3月号より