私と野鳥観察
私は関西の郊外で育ちました。庭の餌台に給食で余ったパンやマーガリンを置くと、スズメやヒヨドリが群がり、隣の原っぱの上空にはトンビがピーヒョロ鳴きながら輪を描いていました。夕方にひらひら飛ぶコウモリは、夜飛ぶ鳥だと信じていました。小学校から帰ると毎日のように草むらで虫を捕まえ、タモ網でオタマジャクシをすくっていましたが、野鳥を見に行くという発想はありませんでした。私がちびっこだった50年余り前の日本列島は、公害問題に翻弄されていたので、自然はテレビの中にしかないと思い込んでいたからかもしれません。そんなわけで今でも親しみを感じるのは、身近なスズメやカラスたちです。
初めて探鳥会に参加したのは、二十歳の頃東京の高尾山でした。その時、初めてコゲラを教えてもらい、絵本の中のお話だと思っていたキツツキが身近な場所にいることを知りました。その時お世話いただいたのが野鳥の会の清水徹男さんで、初期の頃の野鳥の会ポケット図鑑「山野の鳥」の編集をされた方でした。野鳥を通して環境や地球の歴史を初心者にもわかるように説明され、整然と植林・枝打ちされた木々は、野鳥にとっては緑色に塗った電柱と同じようなものだとか、野鳥の会の会員は猟友会の人数より少ない(当時)などのお話が記憶に残っています。ネット検索してみたら、長年高尾山で野鳥を観察され「高尾山野鳥観察史75年の記録と思い出」のご著書がありました。この時、ベテランさんたちの間では、大人も子供も「〇〇(鳥名)オス〇羽、メス〇羽」などと紅白歌合戦でおなじみの活気あるカウントの声が飛び交い、次々にシジュウカラやエナガなどを双眼鏡や望遠鏡(そのころはプロミナと呼ばれていました)で見せてもらいました。黒白のツートンカラーだと思っていたシジュウカラの背中が黄緑色なのを見て、早速、当時みんなが持っていた8倍の立派な双眼鏡を買いました。ところがせっかくの双眼鏡を覗いても、ちっとも鳥が見えないのです。どこにいるのかを教えてもらっても、私だけ双眼鏡に入れることができなくて、なんとも情けない思いをすることになりました。
この状況が変化しはじめたのは、コロナ禍前後のことでした。美術を見る催しがあり、その時6.5倍の双眼鏡を紹介されて購入しました。50㎝まで近づけて、美術館や暗いお寺でもはっきり見えるし、軽くて気軽に携帯できるので色々なところに持っていくようになりました。コロナが下火になったので、この双眼鏡を持って久しぶりに探鳥会に行ってみました。そうしたら何回か参加しているうちに、皆さんが教えて下さるあたりに双眼鏡を向けると、あら不思議、鳥さんたちが入ってくるようになりました。何十年の時を経て、ついに楽しい鳥見ができるようになったのでした。倍率が低いと、大まかに向けてもどこかに鳥がいる可能性があるのかも。軽くて首や手が疲れないのも高得点です。お花や葉っぱ、虫など動かないものに近づいて覗くと異次元のきらきらした世界に没入できます。円山公園の探鳥会の帰りに美術館に寄るのもまた楽し!
野鳥と親しくなるきっかけは色々あると思いますが、私の場合、探鳥会での人との出会いと、チョウのマークがついた双眼鏡を相棒にしたことが、鳥や森をぐっと引き寄せてくれたのでした。




